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「栄えの主イエス When I Survey」解説続き・・・

最終更新: 4月6日




讃美歌21・297番「栄えの主イエス」解説動画の続きです!



今回は動画で伝えきれなかったノートの内容をこのブログで配信していくことにしました!


ブログっていうよりは「ノート」という感じで読んでいただければと思います♩


でもその前に・・・


もしまだ4.5musicのYoutubeチャンネルで「栄えの主イエス」の解説動画を観ていない方がいたら、ぜひ動画を観てからこのブログを読んでください〜♩

※栄えの主イエスの解説動画内容はこのブログでは省略させてもらいます。




それでは、解説動画の続きということで・・・




Youtube解説動画では、



1、讃美歌のテーマ 
→ 「十字架・受難週」

2、作曲・作詞者 
→ 作曲:ローウェル・メイスン
→作詞:アイザック・ウォルツ

3、歌詞の意味 
→ 「英語の讃美歌の中で最も美しいと称された讃美歌」
の1番〜5番までの歌詞の説明

この3つについて説明しました。



そしてこのブログでは、以下の内容を説明したいと思います。


◎讃美歌の背景にあるみことば

◎みことばの文脈を知ろう!

◎オススメ受難週の過ごし方




では早速1つ目!



讃美歌の背景にあるみことば



アイザックがこの讃美歌の詩を作ったときに、詩のベースとなる「みことば」がありました。ガラテヤ6:14のみことばです。



しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが、

決してあってはなりません。この十字架につけられて、世は私に対して死に、

私も世に対して死にました。



このみことばはパウロの有名な言葉の一つですね。

アイザックはこのみことばをパラフレーズして讃美歌の詩を書き上げました。

彼はこのみことばを詩の中でこのように表現しました。


When I survey the wondrous cross

おどろくべき十字架を見る時、

On which the Prince of Glory died, 

その栄光の君(王子、王の息子)の死を。

My richest gain I count but loss,

私の利益は、損失となり、

And pour contempt on all my pride.

私自身のプライドを軽蔑します。


Forbid it, Lord, that I should boast,

禁じてください、主よ、誇ることを、

Save in the death of Christ my God,

私の神である救い主キリストの死のほかには。

All the vain things that charm me most,

魅力があるすべてを空しいものとして、

I sacrifice them to His blood.

主のいけにえの血に捧げます。



彼にとってもパウロのように、キリストを知れば知るほど、十字架以外のものは無価値と思えるほどで、また十字架はこの世のどんなものよりも最も美しく魅了してやまないものだった。彼はそんな十字架への思いを、パウロのみことばを背景に自分の言葉に置き換えて詩を書いた。アイザックの歌詞を見るだけで彼がどれだけ十字架に魅了されていたのかが本当にわかる!


ではここからは、パウロにも少し注目したいなと思います!


この有名なパウロの言葉は私含め多くのクリスチャンの信仰を励ましてきたみことばですよね。でも、このみことば一箇所だけは何度も聞いたことはあるけど、そのみことばの前後にある会話だったり、時代背景、この言葉の文脈はあんまり知らないなーと思いました。もしかしたらメッセージで聞いてるかもしれないけど、忘れちゃうじゃないですか・・笑。

だから、今回少しこのみことばの文脈を知りたくなったので調べました!

そしてきっと、文脈は忘れちゃったな・・て方は私だけじゃないと思ったので、シェアします♩



みことばの文脈を知ろう!



まずは、ガラテヤ6:14の前後のみことばを見てみましょう。



13 割礼を受けている者たちは、自分自身では律法を守っていないのに、あなたがたの肉を誇るために、あなたがたに割礼を受けさせたいのです。


14 しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが、

決してあってはなりません。この十字架につけられて、世は私に対して死に、

私も世に対して死にました。


15 割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。

大事なのは新しい創造です。



これが有名なパウロの名言箇所14節の前後のみことばです。

パウロは割礼の会話をしているときにこの言葉を言ったんですね。


なぜパウロがこんなことを言ったのか。


それは、当時ガラテヤの教会の人たちは、異教からクリスチャンになった人がほとんどでした。そんな彼らにとって、クリスチャンとは何か。キリストを救い主と信じ受け入れた者としてどのように生きるべきなのか。が分かっていない人が多くいました。


そんなクリスチャンを惑わす人たちがいました。彼らは「クリスチャンになったんだったら割礼受けなきゃダメだよ!律法を守らなきゃいけないよ!これしなきゃダメ!あれもしなさい!」と人々を律法主義へ戻し、信仰による義ではなく、行いによる義を強調するだけでなく、割礼しなさい!と強要までしていました。


そんな彼らの教えにガラテヤの人たちは惑わされ、恵みの福音からどんどん離れていきました。そして自分自身のアイデンティティーをキリストから見いだすのではなく、律法主義の行いによって見いだすようになっていました。でも、惑わされるという事は、結局ガラテヤの人たちは、イエスキリストの十字架での死に対する救いの確信がなく、ずっとアイデンティティーを失ったままだったのでしょう。


そして、この状況を知ったパウロはガラテヤの人たちを福音に立ち返らせるために、

あの言葉を言ったのでした。


しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが、

決してあってはなりません。この十字架につけられて、世は私に対して死に、

私も世に対して死にました。



なるほど〜。

文脈が理解できましたね!



パウロは、イエスキリストはクリスチャンたちに重荷を与えるために十字架で死んだのではなく、逆に「律法から自由にする」ためであること、そしてクリスチャンのアイデンティティは十字架以外にない!そしてキリストの多大なる犠牲ゆえに、神の私たちへの深い愛を知れたこと以上に価値あるものはこの世にはない!ということをガラテヤの人々に悟らせたかったので、この台詞を言ったんですね。


もし文脈を理解せず、ガラテヤ6:14だけを読むと、パウロがただ「クリスチャンになったら世の楽しみも、世にあるもの全てを手放して(世に対して死ぬ)、十字架だけ持って生きなきゃダメなのよ!」と修行チックに捉えてしまいがちですが、パウロはそんな外見的な行いのことを言っていたのではなく、クリスチャンたちの霊、アイデンティティに対して語っていたんですね。



ということで、文脈説明はここまでにして。。




オススメ受難週の過ごし方


アイザックの詩の冒頭では「When I survey」で始まります。この「Survey」は辞書だと「調査する、視察する、明らかにする」といった意味を含んでいる単語だそうです。

アイザックは自分にとっての十字架が何なのかを吟味しました。

そして彼はこのように答えを見出しました。


Were the whole realm of nature mine,

世界のすべてが私のものであったとして、

That were an offering far too small;

それをささげても小さなものにすぎず、

Love so amazing, so divine,

驚くべき愛、聖なる愛は、

Demands my soul, my life, my all.

私の魂、私の生命・生涯、私のすべてを求めます。



私もアイザックのようにこの受難週は自分にとって十字架が何であるかを吟味したいと思います。なので、みなさんにもそのように過ごされる事をオススメします!


決してガラテヤの人々のように律法主義や行いに走らないようにしたいですね!


受難週だからといって、変に禁欲生活やあえて肉体的にも苦しみを味わうようなことはしないでいいと思います。(実際過去に受難週に十字架に架かるクリスチャンがいるようです・・涙)


パウロが言うように、



「割礼受けてる受けていないは関係ないです」



「受難週に何をする、何をしないかは関係ないです。」



「大事なのは新しい創造です」



キリストの受けた苦しみと死によって、

私たちが新しい者とされたこと、

これをただひたすら思い起こし、


神様の深い愛に浸る受愛週を過ごしていきましょう♩


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